2015年12月10日、幽門輪温存膵頭十二指腸切除術って手術を受けました。
どんな手術かは幽門輪温存膵頭十二指腸切除術ってやつ - 鈴木のブログで書いたけども、十二指腸と胆のう全部と膵臓半分くらい、なくなりました。
手術当日については手術当日のこと① - 鈴木のブログと手術当日のこと② - 鈴木のブログで。ここでは術後1日目からのことを覚えている範囲で書いていきます。本当につらい日々だったけども、確実によくなっていくので、これから手術を受ける方はあまり気を落とさずに…ってムリかな。
術後1日目(2015年12月11日)
10:00AM頃、ICUから自室へ戻る。手術後は癒着しないように(?)、先生からもどんだけ薬を使ってもいいから歩けと散々言われていたからそのつもりだった。案の定、自室へ戻ってすぐ、ベッド起こしてみる?と看護婦さんに聞かれた。恐る恐るうなずいた。ベッドが起き上がってくる。なぜかすごい恐怖感が襲ってきた。痛いのが怖いのか、自分の体がどうなってしまったのかまだよくわからなかったからか、看護婦さんに手を握られて「こわい...」と泣きそうになってしまったら、看護婦さんが「じゃあやめよう。すごく大きい手術をしたんだから怖くて普通なんだよ。焦らなくて大丈夫」と言われ、落ち着かせくれた。この看護婦さんはこの日何度も来てくれて、いちいち泣きそうで不安な私を何度も安心させてくれた。
12:00PM頃、母親が来てくれた。ひたすらぐったり、うとうとを繰り返す娘の足元でおにぎりを食べていた。徐々に、手術日当日にはなかった手術痕の存在感がばんばん出てきて、痛くて腹圧がかけられないから声も蚊の飛ぶような弱々しい声しかでない。
14:00PM頃、お義母さんも来てくれた。疲れそうで嫌だったけど、さすが気遣いの人で1分もたたずに帰ってくれた。
15:00PM頃~、腕と手しか自由に動かせないので、夜を独りで過ごすのが不安になり始めた。旦那に死にそうな声で夜病院に泊まってくれないかと電話したら来てくれるというので安心した(これはあとで後悔)。とにかくナースコールをずっと握りしめてた。お母さんが帰った。うとうとしたり、テレビつけたり(術後テレビは刺激的であまり見る気にならない)、スマホみたり、寝返り試みたり、ベッドを上下させてベストポジション探したり。膵臓を半分取っているので血糖値の検査を1日3回、すごく痛い筋肉注射も1日3回、おなかの4本の管から排出されている液体の量や色の確認や、おしっこの量とか点滴に確認とか、すごく頻繁に看護婦さんが来てくれる。
22:00PM過ぎ、仕事が終わって旦那が病院に到着。つらくて会話もそうできず、彼もさっさと寝る準備。この時写メとってもらったけど、あたし本当につらそう(苦笑)
この日も夜、弱い眠剤→鎮痛剤→強い眠剤で2時間くらい熟睡。なんていうか、昼間は気がまぎれるからか、痛みは夜強くなるし、眠れないのも夜。敵は夜にやってくるっていう感じ?
ほとんど眠れない私の横ですやすや眠る旦那。夜中も2時間おきに部屋に来てくれる看護婦さんの音で、旦那を起こさないか結局こっちが気を使うばかりで、来てもらったことを後悔した(旦那よ、ごめん)。
この日から、眠れない夜は毎日毎日祈っていた。
「どうか、合併症が起こらず全てが最短で進みますように」
「どうか、今までの悪事がこれでチャラになりますように(ついでに家族の分も)」
術後2日目へ。いよいよ歩行開始。が、しかし…。
術後2日目~3日目。起立性低血圧との戦い - 鈴木のブログ