2015年12月10日、幽門輪温存膵頭十二指腸切除術って手術を受けました。
どんな手術かは幽門輪温存膵頭十二指腸切除術ってやつ - 鈴木のブログで書いたけども、十二指腸と胆のう全部と膵臓半分くらい、なくなりました。
術後のことを覚えている範囲で書いていきます。思い出した順に書いているのでぐちゃぐちゃの殴り書きです。そのうち術後インデックス作りますが、それまではちょと見にくいですがあしからず。
[術後2-3日目追記]
術後2日目~3日目。起立性低血圧との戦い - 鈴木のブログで書いた術後2-3日目追記で、ICUを出て数日間左肩が異様に痛かった。動かさなくても痛いから訴えたところ、心電図をつけられました。湿布じゃなくて?って感じだったけど、狭心症とかの放散痛で左肩が痛むことがあるらしいです。
結局のところ、手術でずっと同じ体勢でいたからじゃないかって話でおちつき、翌日午後には外れたけれど。
術後4日目(2015年12月14日・月曜)
水飲んだ、リハビリ開始、トイレまでの歩行可、相変わらず痛い、レントゲンに車いすで行く
なんとなく光が見えてきた4日目。相変わらず悲鳴ものの痛みだけども、合併症もなくすべて順調で、翌日から食事が始まるとのこと。まずは水を飲んでみた。問題ない。数日ぶりに理学療法士さんが来てくれた。「倒れちゃってるみたいですね~。今日は無理せず行きましょう」と、歩行はなく、筋トレのみ。この日の私のしんどさっぷりに、「こんなに若くても、つらいんだ」と思ったそう(後日談)。トイレはなんとか看護婦さんの補助で行けている。とはいえ、たくさんは歩けないし不安と焦りは募る。もう昼間のうとうとはなかったが、夜は相変わらずあまり眠れない鎮痛剤と眠剤を入れてもらっていた。
あとはレントゲンに行ったのはこの日?車いすでいくのもすごい不安だったのに、レントゲン室でたっていたり横になったり痛くて死ぬかと思ったけど、技師さんがナイスなフォローで悲鳴を上げずに済みました。
術後5日目(2015年12月15日・火曜)
食事(流動食)開始、管が1本抜けて残3本、鎮痛剤が点滴から錠剤(ロキソニン)へ、髪を洗ってもらう、みんなに生きてる報告する
朝から食事がでた。そもそも起きているのがまだしんどいのでさっさと済まして横になる。回診でみんなに傷がキレイだと言われる。その場で管が一本抜かれた。地味に痛い。抜かれたところはそのまま穴が開いているのだけれど、人間てすごい。1日でふさがった。どの穴も液漏れはほとんどせず1日でふさがり、2日目には傷も乾いた。このまま毎日1本ずつ抜いてくれるのかと思いきやそうでもなかった。あとは術後1週間のCTの後だって。食事が開始されたので、点滴だった鎮痛剤が錠剤に代わって口から飲むことに。
この日の担当看護婦さんが同じ年の娘を持つママ看護婦さんで、ベッド横に飾ってある娘の写真を見ながら話題を振ってくれたのに、休眠していた母性が目覚めて、涙ができてしまった。幼い娘を残して病気になったことがつらかったとぽろぽろ泣いてしまった。でも、泣くと傷がめちゃくちゃ痛い。「ぎゃあ、泣くと痛い。もう泣かない。痛い」と泣き笑いの私を見て、もらい泣きしてしまうママ看護婦さん。アぁ、母親というのはどうしてこんなにも涙腺が弱いのか。
午後は、髪を洗ってもらった。すごーーーーーく気持ち良くて、久々に生き返った。手術の前は10日くらいシャワーを浴びられないと言われていて、「やだなぁ」と思っていたけれど、痛くて、つらくてシャワーどころじゃないっていう。お風呂に入りたいとかきれいでいたいとか、ほんと健康あってこそなんだと実感。そしてやっと、術後みんなに連絡ができた。痛くてしんどくて眠れなくて、でも生きてます!って。この日からはどんどん良くなっていったような。多くの人が言うように、ヤマは5日ですね、ハイ。
術後6日目(2015年12月16日・水曜)
腰からの麻酔終了、首からの栄養点滴終了
人より長く入れてもらっていた腰の麻酔?の針を取ってもらった。痛くなるんじゃないかとおもったけど、さすが術後6日目なので動かなければ痛くなかった。歩行練習のときだけロキソニンをもらう。付き添いがいれば病棟散歩も可なのでお母さんとうろうろ、理学療法士さんとうろうろ。食事は食べられたり食べられなかったりだけども、もう首からの点滴はいらないそうで取ってもらう。けっこうな傷跡が残っている。
術後7日目(2015年12月17日・木曜)
造影剤CTで問題なし、管がもう1本抜けて残2本、食事を吐いてしまう
術後1週間なので、車いすで造影剤CTを取りに。Before Afterで見本のように腫瘍のところがキレイになくなっていた、とのことで、管がまた一本抜けた。「ついでにもう1本!」と言ってみたら、「何か異常があった時に原因が突き止めやすいように1本ずつって先人たちが決めたんだよ」と至極まっとうなことを言われ納得。この頃は雑談もがんがんOK。テレビもマンガもOKなんだけども、食事が流動食から普通食の固さに向うにつれ、食後の気持ち悪さも増して、食欲も低下していきました。それでも傷の痛みは引いていき、なくなりはもちろんしないが、痛くない起き上がり方を徐々に習得していくのでだんだんまともに動けるように。あ、でも咳とかくしゃみは悶絶です!!出そうになったら鼻をつまみましょう。
術後8日目(2015年12月18日・金曜)
管がもう1本抜けて残1本、シャワー開始、一人歩行OK
「もうおかゆ見たくない」とわがままが始まった34歳児。入院生活はすでに1か月を超え、産科にしか入院したことがない自分には味気なさすぎる病院食を体が完全に拒否してるんだと。だから吐いたり気持ち悪いんだわ~と処方された吐き気止めをのみつつ翌日からの米飯を待つことに。
そして、管がもう一本抜けてついにパジャマのズボンが履けることに!やっとネグリジェ卒業。ついでに残りの1本(胆汁)はいつ抜けるのかと聞いたら「これはテイクアウトだよ」と言われ「テイクアウト?!」とびっくりしたけども、それは本当で初回外来までついておくことに。テープで止めるからシャワーとか入れるのだけど。とりあえず、管からぶら下がる液体もなくなり、点滴もないから身軽になりました!よってまだすごく集中しないとすぐふらふらしちゃうけど、一人歩行も可能になったぜ。
術後9日目(2015年12月19日・土曜)
朝から吐いてしまい、レントゲンへ。娘に再会、普通食開始、週明け帰っていいと言われる
朝から吐いてしまい、レントゲンへ。初めての、そして最後の一人で歩いて検査に行けた。入院した時から車いすで付き添い付でしか検査に行ったことがなく、ひどいときにはストレッチャーで運ばれて検査に行っていたので、一人で歩いて検査にいくことがひそかな目標だったので達成できてよかった。結果、どこにも詰まりもなく、精神的なものかな、みたいな判断。この日にネキシウムとリパクレオンが処方された。
お昼頃、娘がパパの抱っこひもに入れられてくる。顔を見て、「ん?」みたいな表情。あれ、忘れました?(笑)相変わらず暴れまくって帰って行った。
夜先生が来て「いつ退院にする?」と聞くので、「クリスマス」と答えたら「週明けでもいいよ」と言われ、「まともに歩けないし、食べられないし吐いちゃうし無理」とお断り(笑)でも今想えば、歩くリハビリは確かに必要だったけど、点滴もないしご飯はまずいし、帰ってもよかったかも。
術後10日目(2015年12月20日・日曜)
自宅へ外出、うどんを食べる
とりあえず病院食を受け付けないので、外出で家に帰ることにした。朝、お義父さんがお迎えに来てくれ、自宅へGO!娘、喜ぶ。出前で大好きなうどんを食す。食べられるやん!やっぱり病院食がむりなんだわ…わがまま(笑)
手術した10日後に家にいられると思わなかったからうれしかったし、しみじみ。。
術後ひさびさに朝まで眠った。
術後11日目(2015年12月21日・月曜)
することなし。食欲も相変わらずなし。
いよいよ退院が近づき、このぐーたら育児放棄な独身生活も終わりかとしみじみしてくる。やっと、パジャマのズボンも履けるようになったので、お見舞いにも来てもらい、最後の入院生活を満喫。
食欲は退院して動けるようになれば出るといわれ、そんな気もしたのでとりあえずいいかと。でもこの日理学療法士さんと体重を測ったら、37キロしかなくて、過去最低で、愕然としてえらく動揺した。
ついでに、階段の練習を初めてしたわけですが、全然だめー。補助必要。左足が片足で支えるのが大変な状態。これは退院を不安にさせた。
術後12日目(2015年12月22日・火曜)
することなし。食欲も相変わらずなし。お見舞いはあり。
ここまで順調でくると(食欲はないけど)、今度は退院後の生活が不安になってくる。このまま食べられなかった?熱とかでたら?おなかが痛くなったら?テイクアウトの管が抜けたら?看護婦さんや先生にいちいち聞いていく。
そして、もはや忘れかけてた病理の結果発表を控え、その不安も押し寄せてきた。あと何年生きられる?めっちゃ長生きと思ってたけど、そうでもないならもう一人子供産みたいなとか、もう手術はやだなとか、相変わらずラーメンと焼肉はいつ食べられるんだろうとか。
この日も階段練習。退院日はそのまま自宅ではなく実家に帰るので新幹線に乗らねばいけない。階段もたくさんある。しかも子連れ。うむー。ま、なんとかなったけど。
術後13日目(2015年12月23日・水曜)
病理検査結果をきく。お見舞いくる。最後のぐーたら生活。先生や看護婦さんとのお別れは少しさみしい。
病理結果は午前中だったので、午後はひっそり外出してラーメン食べに行こうかと思っていたけど、イケメン先生ももう少し待てと言われあきらめる。でもイケメン先生は午後食べに行くとか言って、ああずるい。
病理結果は両親とご主人呼んでって言われたので、「わるそー」と思って不安だったが「そんなに悪くない」という事前情報通り、
「今回は早く見つかったからリンパ節転移はなかったけど、リンパ節転移の可能性はあった腫瘍でした」ほう。
「経過観察に5年は通院だけど、基本的に再発とかはない」ほう。5年って、ながーい。オリンピック終わるやん。
「でもこの手術をした人は潰瘍ができやすいから、年に2回は内視鏡」ぎょえー。
「消化にいいものをよく噛んで食べること。麺類は詰まりやすいからだめ。お酒は初回外来までだめ。ラーメンと焼肉とか絶対ダメ。」えーー!!!!!
という情報しか入ってこず、とりあえず病気はオッケーなんだ思い、腫瘍が良性か悪性かも不明(笑) で、あとでよくよく思い出してぐぐったら、確かgangliocytic paragangliomaって腫瘍で日本語名はないって言ってたような。つまり神経内分泌腫瘍(NET)じゃなかったってこと?なの?よくわからないので、今週の外科外来で聞いてこようと思います!
術後14日目(2015年12月24日・木曜)
祝、退院!!!!!
私のお母さんと、お義母さんと、娘と、旦那で病院を後にし新幹線まで乗せてもらって、旦那は会社へ。大荷物と3人の大人と小人1人、何とか無事実家に帰ってきました。そして早速大好きなうどんを食べました(麺類ダメと言われたにもかかわらず)、とさ。
同郷執刀医の先生やイケメン先生、病気を見つけてくれた内科の先生、たくさん話を聞いてくれた神経内科の先生、研修医の先生、お世話になった看護婦さん、たくさんおしゃべりした理学療法士さん、こんな価値観が大きく変わった人生の大事件をサポート頂き、本当にありがとうございました!
退院してからの日々はこちら
術後1か月、退院後の生活(体調・行動・食事) - 鈴木のブログ