鈴木のブログ

病気と子育てで頭がいっぱいなワーキングマザーのブログです。

神経内分泌腫瘍(NET)とギラン・バレーと発覚し手術するまでの日々

2015年11月14日に外来から即入院し、それから検査の日々で、2週間くらいで退院予定だったのが、術後含め1か月半にも及ぶ入院生活となり、その間1泊の外泊しかできなかった、悲しい悲しい(手術前までの)記録です。※手術後の日々は「手術のこと」カテゴリーで書いています。

 

2015年11月14日・土曜・禁食

人生初の胃カメラで、だれが見てわかる2センチ大の腫瘍が十二指腸にあり、その腫瘍に潰瘍ができて出血してました。出血の度合いがわからず、食事もとれず、手足のしびれもあるので即入院となりました。

その後何度も「いつから腫瘍なんてできていたのか」「なぜできたのか」聞いてもわかるはずがない質問を先生にしました。出産と育休で2年間健康診断を受けていなかった間にできたのか、食べ物がいけなかったのか。「腫瘍ができる理由がわかったらノーベル賞ものだよ」「健康診断のバリウムは胃しか見てないことが多いし、小さければ気づかない」との返答をもらってもなお、「なぜ」「今後何を変えればいいのか」わからず、ずっとぐるぐる考えていました。

突然の即入院も、病院4件目にして「やっと治してもらえる」という期待にほっとしました。同時に、自分以外と寝たことがない娘を誰がどう面倒を見るのか不安になりました。入院の荷物をともに病室に現れた1歳半の娘に「かあちゃん今日からここにねんねだから、おつちでとうちゃんとねんねしてね」と笑顔で伝え、ぐずりながら帰って行ったように思います。この日は、子供がかわいそうでずっと泣いていました。

夜、1年半ぶりの一人時間は何をしたらいいかわからず看護婦さんに「暇なんですが…」と言ってました。さっそく点滴をしてもらったからか「元気になった証拠ですね」と言われました。その後シャワー中に歯を磨いていたら、口に違和感を感じました。その時は気にせず、就寝。でもほとんど眠れず、何度もナースコールをしてしまいました。

 

2015年11月15日・日曜・禁食

朝方から眠れ、7時ごろに目を覚ますと顔が動かなくなっていました。しゃべりにくさと、笑ったりしかめっ面をしたり表情を変えることができなくなっていて焦ってナースコール。すぐに先生が来て確かめられ、CTを取りました。検査に行くのに車いすに乗せられていると、「数日前まで普通に仕事していたのに、どんどん病人になっていってしまう…」とぽろぽろ涙が出てしまい、付き添いの看護助手さんが「検査は治すためにいくんだから前向きなものなのよ、大丈夫」と励まされ、泣きべそのままCTをとりました。結果脳には異常なし。

その日の夜中、トイレに行くとなんだかふらつくようなふわふわするような感じがしたので、トイレからナースコール。「なんだかふらふらしたので・・・・」で、会話が途切れ気絶したそうです、私。目が覚めたらお尻丸出しで、看護婦さん2人係でベッドに運ばれ中。ベッドに置かれて名前を呼ばれて目をしっかり開けたら焦りまくりの看護婦さんが「鈴木さん~、大丈夫ですか?」とな。すぐに当直の若い先生が来ていろいろ調べられて、血圧はかったり、心電図つけられたり。その間ぼーっとしてた。内臓からの出血で若干の貧血だった私は入院時に運悪く生理になり、より貧血が進んだ状態だった模様。この意識消失事件で、手術前に外科に移るまで、夜間のシャワーも禁止(人手が減るから)、トイレ一人で行くの禁止となりました…。

 

2015年11月16日の週~ 禁食・絶対安静

朝から担当の先生がきて、輸血の必要性とトイレもベッド上の安静を言い渡される。顔の麻痺も手足のしびれもひどくなっており、神経内科の先生も担当に加わり始める。ただ事ではない感じに検査も急ぐ雰囲気になり、この週だけで内視鏡2回とERCP、MRIにCT、髄液検査と一通り行いました。食事は一切なく、歩くことも禁止で、一日が長すぎるし、なんでこうなったのか、この先どうなってしまうのか、不安でたまらない日々でした。握力も10しかなくて、本を持つのがしんどかったです。というより、本さえ持てないとか、何かができなくなっていることを知るのが怖くて、無理に行動しなかったという感じ。だから、ひたすらテレビ。育休明けの職場復帰以来、久々にテレビなんて見ました。ただ、そのテレビも「こんなにご飯の番組やCMって多かったの?」と思うくらい多くてびっくりでした。看護婦さん曰く、禁食のみなさんは同じことを言うそうです。

救いは家族や同僚がお見舞いに来てくれたこと。手ぶらでも10分でも会社帰りに寄ってくれて本当にありがたかったです。つい数日前まで一緒に働いていたのに、なんて自分だけこんなところにいるんだろうと号泣したりしたけれど。母親も一日おきに新幹線で通っていてくれていました。

一番顔面マヒがひどかったこの頃に撮った娘あての動画は、顔が全く動かず、子供の名前も呼びにくくなっていて、今見ても目をそらしたくなります…。

しかも20日から御飯が開始されるはずが、ERCP検査後に起こる膵臓の不具合を示す数値が悪くなってしまい、翌日に延期に。すべてが悪いほうへ悪いほうへ流れていく、そんな1週間でした。

 

2015年11月21日からの三連休

連休はお見舞いもないし、検査もないし、先生も来たり来なかったりで、一日が長くて長くて…。娘を連れてきてもらったけれど、顔の麻痺で笑ってあげられないのが悲しかった。先生に「娘に笑いかけられないのがつらい…」と言ったら、「優しい顔してるから大丈夫よ~」と言ってくれました。麻痺の時って重力なのか、すごいたれ目になってたから?しびれと握力低下で爪も切れないし、ジュースのストローもさせなかったし、心が折れすぎて、悲しさ以外の感情をなくしてしまっていたようでした。

ただ、なんとなく絶対安静がとけて、トイレは付き添いで行けるようになりました。ご飯も、座っていられる時間が伸びて、ゆっくり食べられるようになってきました。でも点滴棒につかまってやっと数歩歩けるくらいに筋力が落ちており、また歩けるようになるか、何度も何度も聞いて「若いからすぐ回復するよ」ってみんなに言われたけど、全く信じられないくらい数歩歩くだけでものすごい息切れ、という状態に。

 

2015年11月24日リハビリ開始

この日(だったと思う)から、理学療法士さんとともに、これ以上筋力が落ちないようにリハビリが始まりました。緊張状態であまり眠れないからか肩も背中もバキバキで腕を上げることもできず、腕や足はなぜか全体が筋肉痛のように触ると痛かったのですが、理学療法士さんが少しずつ体をほぐしてくれるところからリハビリが始まるので非常に気持ちよかったです。ただ歩行はまだまだで数メートル歩くだけでダッシュした後のような脈拍になってしまうし、一度しゃがんだから立ち上がれないし、足はがい骨みたいに細くなっていました。

このころ初めての筋電図検査を受けました。筋肉に電流を流して反応をみる?検査で、針を刺すので痛い。この検査と、前に受けた髄液検査でしびれ、筋力低下、顔面麻痺の原因がわかるそうな。

 

2015年11月25日・水曜 検査結果と治療についての話し合い

黒色便の原因の腫瘍は、腫瘍の一部をとって病理にかけた結果、神経内分泌腫瘍(NET)のG1で、手術の必要があり、腫瘍自体は悪性の部類でもそんなに顔つきが悪いものではないが、放っておくとスティーブ・ジョブスさんのようにお亡くなりになることもあるから手術でとることが重要。手術の内容は後で外科から詳細説明があるが、できた場所が場所なので、膵臓癌と同じ術式で、胆のう、十二指腸全部と膵臓半分くらい切除することになる、と。

しびれと麻痺、筋力低下などの神経症状の原因は2つ考えられて、一つはギランバレー症候群で、治療法は血液製剤の免疫グロブリンを5日間投与すること。もう一つは肺がんとかでたまに起こるらしいが、腫瘍が神経を攻撃する抗体を体の中に作ってしまって、それが原因で神経障害が起こる腫瘍随伴症候群。腫瘍随伴症候群がNETで起こる症例はあまりないが、腫瘍が原因なので腫瘍をとれば自ずと治るもの。

 

この2つの話を、家族総出で聞きました。この話を1時間かけて車いすに座って聞いた私は、へとへとでした。その後両親はあらゆる医療関係者に相談し手術をこの病院でやって大丈夫かなどリサーチし、セカンドオピニオンなどをするかも考えましたが、これ以上神経障害が進むのは避けたいという理由からスピードを優先し、この病院でお願いすることにしました。

 

そして、神経症状に対しても2つの考えられる原因のうち、どちらも症状がピタッと当てはまる状態ではなく絞りにくいものの、たとえ腫瘍随伴症候群だったとしても免疫グロブリンをやっておいてなんら損はないということで、投与決定。輸血と同じく、血液製剤のリスク説明もけっこうびびりましたけど。

 

この日は日中脳波検査もやりました。頭にいっぱい器具をつけて寝ているだけなのですあ、器具をつけるのに30分座ってなきゃでなかなかしんどい検査でした。しかもいまだに何のためにやったかわらず(苦笑)もちろん異常なし。

 

2015年11月26日

免疫グロブリン開始 30日まで。保険適用で100万円とかするらしいです。看護婦さんにこれ割ったらどうなるの?と聞いたら、始末書かもーとな。2-3時間でおわる点滴を午前中に5日間やりましたが、副作用もなく劇的に何かがよくなることもなく。

顔面マヒは先週をピークに日に日に改善してきていたし、神経細胞は一度壊れると元に戻るのは時間がかかるということでしびれの改善は月単位と言われていたから特に思うこともなく。

 

2015年11月27日

腫瘍を担当してくれている内科の先生は、免疫グロブリン中に外泊が禁止だなんて露知らず、許可してくれていたのですが、前日夜にしびれの方を担当してくれている神経内科の先生が「自律神経が大きく乱れる可能性があり、絶対だめ」と言われ大号泣してしまいました。

というもの、子供を実家に預ける選択検討していたので、この週末を逃すと退院まで会えない可能性があったのです。ものすごく食い下がりましたが、心臓が止まる可能性すらあるといわれ、しかも何かあって手術が延期になったらまた退院がのびてしまうし、最後は納得して「治療に専念します」と泣きながら言いました…。

 

2015年11月28日(土)29日(日)

外泊がだめになったので、娘にランチ時間にきてもらって、半月ぶりに娘にご飯を食べさせてあげました。歩行はまだ支えが必要でしたが、30分くらいなら椅子に座っていられるようになったので、休憩室でご飯をあげました。そのあとは部屋のベッドで親子三人ごろごろし、久々にまったりした時間を過ごせました。そして車いすに娘と座って、パパが押して、入院以来初めて病院の外にでました。病院の敷地内ですが車いすでぐるぐるぐる。止まっていた時間が少し動いているのを感じるような、とっても新鮮な気持ちになりました。

 

 2015年12月1日~術前スクリーニング検査開始

前日に免疫グロブリンの点滴も終わり、手術前に退院しようかと勝手に思っていたら、まったくそんな様子はなく、術前検査がスタートしました。

大腸検査、肺機能検査、CT、MRI、セロトニン尿検査くらいかな。

歩行がなんとか単独でも集中すればできるくらいになり、食事もしっかりとれていて、手術日も決まり落ち着いたのか、入院して以来初めて朝まで眠れるようになってきた週です。というか朝まで眠れるなんて妊娠後期以来、1年半以上ぶりで、目覚めたときあ少し興奮しました。

 

2015年12月5日ー6日自宅へ外泊

結局、子供を実家に預けるのはやめ、子供が落ちついて今まで同じ生活ができるよう家に残すことにしたので、念願の外泊。子供とご飯に、お風呂に、絵本を読んで寝かしつけまで!めんどくさいと思っていた育児のいくつかが本当に楽しみでした。

家に帰るとぴったりくっついてきて離れない娘。事前に病院で買って送っておいたクリスマスツリーを飾ったり、たくさん遊びました。

そして久々の家は落ち着くどころか、娘の世話人である義理の母や妹が長期で滞在してくれていたので物であふれ、居場所も寝室しかなく、しかも病院と違って寒くて全然眠れませんでした…(苦笑)病院ってあったかくていいな~なんて思ってしまった。

 

翌日の昼寝中の娘を目に焼き付けてから(その前の寝かしつけてで抱っこをせがまれても持ち上げられず泣かせてしまって)、非常に悲しい気持ちで病院へ戻り、なんだか育児放棄なぐーたら生活に慣れてしまって大丈夫かなと心配になりました。

 

2015年12月7日外科へ移動、手術についての説明

1か月近く入院した内科のフロアを離れ、外科病棟へ移動。看護婦さんたちとのお別れはさみしかったです。本当に、お世話になったので。精神的にも支えていただいて…。前から分かっていたけれど、本当に素晴らし職業だと思います、看護婦さんって。

 

前日の外泊で、(我が家は床座生活なので)足腰がとても鍛えられ、病棟移動も一人で歩いて行けたし、理学療法士さんもびっくりしていました。なによりもリハビリになるのは、やはり退院して自宅で過ごすことなんだとも実感。
 
夜は手術についての説明がありました。聞いてみたらあまりにも大変そうな手術で、家族全員、ちーんて感じの雰囲気に…。85歳の人も受けている手術とは言うけれど、大丈夫なのか、本当に不安になりました。と言っても受けない選択はないし、自分はまないたの鯉だし、がんばるのは先生だし。がんばってもらおう!とな(笑)
 
イケメンの先生が手術の同意書とかいろいろもって夜来てくれました。ずっと疑問だった「妊娠出産ってまたできるの?」を聞いてみたら、「子宮いじるわけじゃないからできますよ」と。

 

2015年12月8日

免疫グロブリンの効果を見るのに、再度筋電図検査。やはりギランバレー症候群っぽいらしい。顔面マヒはよくなっているけれど、しびれは変わらない。筋力はリハビリのおかげか戻ってきている。よぼよぼでも一人で歩けているし。

手術前のオリエンで、担当の美人看護婦さんが必要なものや、術後のことをいろいろ教えてくれたので、お母さんにそろえてもらいました。

子供が熱を出し始めて、パパが焦っていました。

 

2015年12月9日

ICUの看護婦さん、手術室の看護婦さん、麻酔医の先生があいさつに来てくれて、いよいよ感が増してくる。若くて、子供が小さくて、手術するほどの病気っていう条件はとにかくたくさんの方の憐みの目を受けます。特に看護婦さんたちは、本当に残念がってくれていたし、応援してくれていたように思います。先生も私に子供がいることが分かると、悲しい顔で「がんばろうね」って言ってくれてたし。

ただ、外来のところに明らかに入院しているパジャマ姿のこんなに若い人が車いすで登場すると「こんなに若いのにどうしたのかしら?」と、おじいちゃんおばあちゃんの視線が痛い痛い。

かわいそうな自分とかわいそうな娘という周りからの視線が、悔しいというか「なんでこんな目に」という思いを一層強くした気がします。

 

昔からどの占いに行っても「すごく長生き」と言われていたし、健康だけが取り柄だと思っていた私の自信は、今回の件で大きく崩れ、この先どういう生活や仕事をしていったらいいのかいまだにわかりません。 退院して、普通の日常生活を送ることが自信につながっていくのかな。仕事と育児をまたこなせるのか、本当に本当に不安です。

 

いよいよ手術へ

手術当日のこと① - 鈴木のブログ