著名人が、家族がなくなっときに出すコメントで「(故人は)弱音を吐かなかった」と聞くことがあるけれど、病気になった皆さん、侵襲が大きい大手術をした皆さん、その時、家族に弱音を吐きましたか?
私は、ちょうど1年前から数ヶ月の間、間違いなく人生のどん底にいましたが、家族に「つらい」とか「もうやだ」なんてヒトコトも言いませんでした。
理由は、、
-言ったところで何も変わらない
-変に励まされても、イラつく
-家族には家族の辛さがある
言ったところで、自分のしんどさは何一つ変わらないし、言われた方も困るわけで、言う意味があまりなかったっていうのが1番の理由。それに、もともと能天気で、同僚いわく、「底抜けに明るい」と思われているので、茶化されてもいやだし、心配されても微妙で、弱音は吐きにくかったです。
それからきっと、私の容態が悪化の一途を辿っていたときなんかは、旦那や双方の両親、私の兄夫婦など、みんなが当時1歳の私の娘を自分が育てないといけなくなるかもしれないと覚悟したと思うし、家族を失うかもしれない恐怖とその後の生活への不安と何もできない無力感と、家族には家族のつらさがあったと思います。実際に旦那は仕事辞めて実家に帰らないといけないかとか考えたと言ってたし。
とはいえ、絶食&トイレすら行けない寝たきり状態で悶々とストレスはたまるし、術後はあまりのしんどさに発狂しそうだし、退院後は退院後で家族や主治医はゴールみたいな扱いしてくるけど、本人にとっては臓器が足りない生活がスタートするわけで不安と恐怖で手さぐり状態だし。
それでも、なんとか精神を保てたのは(※入院初期の頃はよく泣いてたので保ててないですが)、①ブログに思う存分心の叫びを書きなぐること ②今は元気だけど、似たような病気or手術を受けた人のブログを読んで、自分も元気になることを夢見ること ③弱音を吐かせてくれる数少ない友人に夜な夜なラインすること、④手のかかる小さい子供がいたこと(気を紛らわしてくれるもの、仕事や趣味も含め)、の4つがあったからだと思います。
①に関しては、同じ手術の経験者からコメントをいただけるようになって、本当に心から救われました。「自分もこうだったけど、今は元気だから大丈夫」という言葉がどれほど重いもので、どれほど心の支えになったことか。
自分がネットを介して人と関わりを持つようになるとは思わなかったけれど、患者本人のことは患者になったことが事がある人にしかわからないし、患者の家族のことは、同じく患者の家族になったことがなければわからないから、こういう、同じ立場同士の人たちのコミュニティや集いは本当に心の拠り所であり、支えなんだと改めて知りました。
もし今、病気や何かで家族や友達に言いにくい何かを抱えているなら、私のように思いのたけをブログに書きな殴るのはとてもよいストレス発散法です。病気にいたってはかならず誰かの役に立つし、何より自分の精神を維持できる。そして記録になるので、あとで自分で読み返して、(暴飲暴食をしたとき)初心に帰ることもできる。(笑)
このブログも誰かのささやかな支えになれたらうれしいです。
牛ハラミ丼。術後11か月目のある日のランチ。んまんま。
しかし、風邪が治らず、三週目突入。耳鼻科の薬も飲み切ったけど咳も鼻水もとまらず。会社で言われる「風邪長引いてますねぇ」が、「ほんと病弱ですねぇ」に聞こえる(苦笑)この週末引きこもってなんとかしたい。
子供は顔にもとびひができて、痛そう?痒そう?家族全員免疫力が下がってます。。繁忙期の冬、一家で乗り越えられるかな。。。