鈴木のブログ

病気と子育てで頭がいっぱいなワーキングマザーのブログです。

ERCP後膵炎治って無事退院♪お花見からの新年度スタート

2015年12月10日(当時34才)、幽門輪温存膵頭十二指腸切除術って手術を受けました。36歳、3歳児の母です。十二指腸と胆のう全部と膵臓半分くらいなく、術後2年で5回の膵炎入院。膵炎治療のためにやった治療でまた膵炎になっていたワーキングマザーです。

 

悲しいかな食事制限つき(低脂質&お酒NG)ですが、3月28日(水)退院できました!月曜に食事が始まってからは最後まで採血もなく、貧血もどこまで改善したかは不明(鉄剤処方されました)ですが、とりあえずは7度目?の祝・退院です。一人で荷物持ってエレベーター降りただけで休憩が必要なほど体力はなくなっていましたが、電車で帰るのを諦めてタクシーに乗ったら、都内の桜はどこもかしこも満開で、それはそれは美しく、なんとなくお祝いされているような気分で帰ってきました。とはいえ、走れないし(足が上がらない)子供と一緒に歩くのは大変そうに思えて、保育園のお迎えは実家から上京した両親にお願いし、夕食も外で食べました。その後3.4日位で体力はもどり、週末は保育園のお友達家族と近所でお花見。そして今週より週3、7時間で仕事スタートです。退院して一週間後に入院した過去があるので、育児と家事は手抜き手抜きで、そっとそーーーっと働きます。

 

入院期間は全部で10日間!ながっっっ。手術以降で一番長かった…消化器内科の病棟でもおじいちゃんおばあちゃんが、入院した翌日に処置して(ラジオ波ってのをよく耳にしました)数日以内にはサクサク退院していく中、一人取り残されていくあの感覚。。退院の日、看護婦さんに「長かったぁぁぁ」というと、「長かったですねぇぇぇ」と言われたので、本当に長かったんだと思います。。。膵炎にならなかったら、普通は5日間くらいで退院できたところが、予定外に期間が2倍になったんだから、そりゃ長いわなーーーーー。

 

それに今回は大きな病院だったから小児科とかもあって、親としてはそれはそれは思うこともあり、はたまた一瞬だけ認知症っぽいおばあちゃん(本人も同居の息子もその認識なし)と同室にされ、自分が何の治療をされるかもわからなければ、トイレはナースコールを押してと何度言われても覚えられないし、1年以上お風呂に入ってないのに介護サービスも使ってないとか、なんかもうほんと考えさせられることも多かったです…。前の病院では外科病棟のナースステーションから一番遠い若くて動ける人ばっかりの部屋だったから、お気楽な入院生活だったけど、我が子が病気って本当にもう、今後生きていくうえで一番怖いことだし、明日は我が身だし、親はどんなに代わってあげたいと思っているだろう、とか考えたら、考えただけで十分に泣けました。それに、自分が認知症になったら治療はどうするかとか、人間って結婚していようが子供がいようが死ぬ時はひとりなんだなーとかとか、普段は考えないようにしていることをまざまざと見せつけられて、気が滅入りつつ、考えなきゃ行けない問題だよなーとも思いました。

 

そんな、自分のことだけじゃなくて、気分が落ちることも少なからずあったので、痛みがなくなって動けるようになってからは、病院の庭でお花見したり、旅行本を読んで気分転換してました。グアムなんて行ったことないのに、もう行ったくらいお店とか詳しくなってる(笑)。入院時に次に行く予定の場所の旅行本を持っていくはとってもいいアイデアかも。実際、今年は夏の旅行は夫の仕事の都合でだめになったので、GWにかぶせてグアムに行ってこようと思います。出産後初(=病気後初)で、娘の海外デビューです。膵炎とか英語で調べとこ。

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グアム本と食事。全粥とおかずは鶏肉ハンバーグとか脂質制限食ですが固形物でした。

結局、食事制限や膵炎にならないために膵管口拡げたのに、その刺激で膵炎になってしまったので、いまいち成功の喜びを感じずでしたが、明らかにバルーン前に感じてた膵臓の主張は減っているので、「おお!これはイケるかも!」と、夢にまで見た膵炎から解き放たれた生活?!にワクワクしています。といっても、まだ二日しか働いてないのにだいぶ疲れてるし、来週の外来までは低脂質食事とお酒NGなので、油断は禁物ですが。あとやっぱり、食後すぐに動くと若干違和感が出る気が…仕事は座っているだけだから平気なんだが、朝食後子供と夫を送り出して、急いで片付けて、自分も出社、とか、、ちゃんと早起きしてゆっくりできるようにすればいいのだけど…。(ムリっす)

 

でもでも、今回はもう次の入院準備はしてないんです!いつもは洗面セットとか次の入院分を退院したその日に準備してたけど、もう入院ないよねっ?!って願いを込めて準備せずに片づけ。それを夫に言ったら「え!念のためにしといたら…」だと。。

実際先生にも処置がつらかったかを聞かれ(前の病院は眠れなくてつらすぎたと伝えていたので)、寝ててわからなかったと言ったら安心して「もしまた起きても、ステントとか方法はあるから」とわざわざ言われたんですが、やっぱこれで終わりってのは楽観的過ぎなのかな?だいたい翌日から膵炎起きてるしーーーーー。

 

ま、また膵炎になるにしてもならないにしても、元気な時は楽しまないとね。エレンタールを飲んでいるときに担当になった看護婦さんが「姉が妊娠中に絶食せなばならず、エレンタールを3ヶ月位飲んでいて、子供の名前エレンちゃんにしようかなって言ってた(笑)」という話を聞いて、自分もそのくらい現状を楽しもうと思ったのでした。

 

はたして、これで膵炎収束となるか。

我が膵炎の歴史…もはや膵炎ブログ。ちなみに慢性膵炎ではなく、再発性急性膵炎って言うんだそう。

  1. 2016年9月23日(金)~28日(水)CT上で炎症がなかったので、膵炎疑惑
  2. 2017年7月16日(日)~22日(土)実家から上京して病院に向かった気絶級のやつ
  3. 2017年11月13日(月)~20日(月)軽く痛かったのに夕飯食べたら悶絶級のやつ
  4. 2017年11月27日(月)~12月2日(土)そんなに痛くなかったやつ(AMY2000)
  5. 2018年3月19日(月)~28日(水)ダブルバルーンERCP治療成功からの膵炎

年度で言うと、昨年度(2017.4-2018.3)だけで4回膵炎!!!+流産とか治療失敗とかの短期入院も入れると入院6回…もはや運がなさすぎて笑えるレベル(笑)

 

旦那さんの転勤でメキシコに行ってた大の仲良しが、転勤が終わって帰国してお見舞いに来てくれたのだけど、彼女がメキシコにいた1年半の間にあたしなんと膵炎5回。この1年半で全部起きてたんだわね。完全に入退院繰り返してましたってレベル…よく会社も首にならず。。。

 

そしてこの1年誰ががんばったって、どう考えても娘だよねぇ。もちろん夫や親もだけど。母が入退院を繰り返していても毎日元気に明るく過ごしてくれました。お見舞いから帰る時もちゃんとバイバイできていても、まだ幼稚園にいく年齢にもなってなかったんだもんね。この4月からやっと、年少クラス。やっと、、全然あっという間じゃなかった。。。※これで仕事クビになっても幼稚園という選択ができた。

0歳から通う大好きな保育園(のお友達と先生)があったからまだ精神的に安定して落ち着いて過ごせたけど、これ、仕事してなくていつもの保育園もなく、入院の度にあっちの実家やこっちの実家に新幹線で連れられてたり(実家も暇ならいいけど、うちみたいに仕事してたり高齢だったりすると厳しい)、一時的に預かってくれる行き慣れていない保育園や乳児院に預けざるを得ない状況だったら、娘が云々というより、自分自身が心配でどうしようもなかったろうなと思う。とはいえ、今後もその可能性は常に、そして誰にでもあるわけで、ある程度は覚悟しているし、仕方がないことだけど、ご近所付き合いにママ友付き合いは大事だな〜とも。1番仲良しのママ友は幸いにも子供も仲良しで家も近く保育園も一緒。いざという時は!っていう安心感があるもんなぁ。

 

ま、なにはともあれ、家族そろって元気に新年度スタートできてよかったです!

 

はたして我が膵炎の行方と、病弱な母に育てられた娘の将来はいかに?

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3才娘につけられた点滴(笑)。将来は看護婦さんか?!医者か?!本人的にはプリンセスだそうです。