鈴木のブログ

病気と子育てで頭がいっぱいなワーキングマザーのブログです。

3年ぶり8回目の膵炎と初めての救急車

2015年12月10日(当時34才)、幽門輪温存膵頭十二指腸切除術って手術を受けました。40歳、二児の母です。十二指腸と胆のう全部と膵臓半分くらいなく、術後2年半で5回の膵炎を発症し、2018年3月にダブルバルーンERCPで膵空腸吻合部の狭窄部分を拡張させた後に第二子を自然妊娠。妊娠中にも圧迫による膵炎を発症し、7回目の膵炎中に第2子35週で出産。この度3年ぶり、8回目の膵炎発症。

 

きた、きた、きた!!あの痛みが!!!!!

いやーもう言葉にならず。。心から卒業したと思ってました。まったく思わなかった、また膵炎になるとか。3年の間、ちょっとおかしいなって思ったら食べるの控えるとか、よく寝るとか、仕事休んで家でひとりでのんびりするとか、そんなんでも元気に過ごせてきたので、ここであんな激痛がいきなり来るとは夢に思わなかったです。

 

2022/3/9(水曜日) 

在宅勤務だったので、次女を保育園に送って家事やって家で仕事。13時くらいに家にあったノンカップ麺に卵を入れて食べて、残り時間は韓国ドラマ。14時頃、さぁ仕事と立ち上がったら、いきなり陣痛MAXみたいな激烈腹痛が…。誰かが内臓に手を入れて、胃とか膵臓とか握りつぶしているような感覚。今までの膵炎とは全然違う痛さでパニックに陥り、立つこともままならず、家にあるカロナールにたどり着かず、汗びっしょりになりながら旦那に電話するもの通じず、自ら、迷いなく119番。でも痛すぎて、ぜんぜんまともにしゃべれないの。住所とかほんとやっと。5分くらいで救急車来るんだけど、オートロック解除できないよーーって思ってたら救急隊員入ってきてくれた?自分で開けた?記憶なし。。そこから病歴伝えるとか、病院どこかとか、伝えるのめっちゃ大変だった。通院している大学病院か近くにするかを聞かれ、遠いが通院中を選び、診察券番号の確認で、受け入れOKが出たので出発。

 

教訓1:病歴通院歴はスマホに書いておけ

※iPhoneのメディカルIDに昨日退院してすぐ入力しました。

 

救急車に乗ってからもずっと「いったーーーーーーい!!!なんなのーーーーー!!」と叫んでました。。せっかく救急車乗ったのに、中も何も覚えてない…。仕事中だったのに会社携帯忘れてしまい(というか上着とかも何もない。スマホだけ自分で持ってて、救急隊員が財布の入ったカバンとカギと靴を持って行ってくれた)、仲のいい子に連絡して伝えてもらったり、小学校の学童に電話して帰宅時間遅らせたり、、痛い中頑張って連絡。。とにかくずっとぎゅーっとおなかを誰かにめちゃくちゃにつかまれているみたいに痛かった。病院ついてどのくらい痛いか聞かれて間髪入れず「10、10、10!!!」と答え、とにかく痛み止め~!と懇願しました。。

点滴して30分くらいで痛みがだいぶ収まり、歩くのは無理だが会話ができるように。

ここでも教訓1で、結局病歴語らされる。通院してるのに。検査結果は、アミラーゼは400くらいだったけど、CRPと白血球はほぼ正常値、エコーは膵炎所見(主膵管拡張と膵臓周りの液体貯留)CTも重症判定。17時半ごろに夫に来てもらい、メイク落としとパンツと歯磨きと充電器だけ買ってきてもらいました。そしてすぐ保育園と学童のお迎えへ。入院は決定したけど、消化器内科は満床で入れず、救急の先生があちこち交渉をして神経内科のフロアへ。15時前くらいに救急ついて、21時くらいに病棟に入れました。そして痛くて、点滴も多くて(ピーピー言うし)、全然眠れない夜の始まり始まり。

 

2022/3/10(木曜日)

朝まずPCR検査を受けました。救急で膵炎だからか若干微熱を計測したからか、隔離されていたようでした(本人痛くて動けないので全く気付かず。笑)

眠れず迎えた朝の血液検査がさほど悪くなくてアミラーゼも200とかに下がり、もっと上がると思われたCRPもちょっとしか上がらなかったので、お昼からエレンタール1本。またあたしの人生にエレンタールが戻ってくるとは想定外だったよ。。。

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眠れず迎えた病室から

夫が下着やスリッパや会社など荷物を仕事の合間に届けてくれる。申し訳ない。

痛みは大幅に減って、動かなければ何とか過ごせるレベルに。ただ前日の睡眠不足で頭もボーっとしている中、主治医が到来して、病院異動の件とダブルバルーンやって帰ろうと提案される。そして彼だけが、CTは重症に見えるけど、本当はそこまで悪くないと思うと言っていた。それゆえにダブルバルーンやって帰ろうだったのかな。

この日は来る先生たちにもう膵炎にならないと思っていたこと、何の予兆もなかったこと、体調も悪くなかったこと、去年の方がよっぽど体調悪かったけど入院することはなかったからもう本当にならないと思っていた、とにかく信じられない、みたいなことを伝えていた気がする。

本当に信じられなかった。でもそう。「人工的につないだものだし、起こりえる」と誰かが言った。おっしゃる通り。3年はもったと考える、とな。

夜にはもうダブルバルーンERCPの説明と同意書記入。ステント入れるかもしれないこと、入れたら3か月ごとに交換したりすること、目が覚めたら鼻から管が出てるかもしれなことなど。この説明してくれた先生には、CT上の派手な膵炎を見て、もっと前から起きてたんじゃないか?と言われた。全然わからなかったけど、言われてみれば、、は出てくる。。。もはや今更で、気づかなかったら意味がない。前回DB-ERCP後に3%の確率しかないのに見事に膵炎になったので不安になったけど、やるしかない。問題はいつ帰れるか。日曜は長女のチアダンスの発表会だけど、もう仕方ないのであきらめました。


2022/3/11(金曜日)

眠剤もらって寝たのでそこそこ眠れました。おそらく朝の採血で問題なく、48時間ぶりに食事再開~最近の膵炎治療は食事開始早くていい!!そして動かなければ痛みなし。

いつも3日間でほぼ消息する。今回も例外なく。夫から暇なんだからやるように言われた、確定申告の医療費集計をしていたら、仕事復帰してからの体調不良の痕跡や鍼灸院に通って体調維持に努めたことを思い出し、やっぱ無理があったのかな、とか。。。仕事辞めたらもうならないかな、とか。。。少なくとも、新しい挑戦への気持ちはかなり萎えました。。。

DB-ERCPは月曜にやると伝えられ、土日はゆっくり過ごすようにと、看護婦さんからも。

これもいつも通りだけど、痛みがなくなって元気になって手持無沙汰になるとメンタルがやられてくる。。

痛みが出たとき子供と自分だけだったらどうしたのか。夫が出張してたら?次の膵炎いつ?もしステント入れたら、3か月ごとに交換だなんて仕事はどうする?