2015年12月10日(当時34才)、幽門輪温存膵頭十二指腸切除術って手術を受けました。37歳、二児の母です。十二指腸と胆のう全部と膵臓半分くらいなく、術後2年半で5回の膵炎を発症し、2018年3月にダブルバルーンERCPで膵空腸吻合部の狭窄部分を拡張させた後に第二子を自然妊娠。妊娠中にも膵炎を発症し、予定より1ヶ月早い出産となりましたが、母子ともに健康です。
Vol.2に書きましたが、今は産みたくないのに産まされるという心大荒れの中、いつもの膵炎点滴しつつ、子宮口を拡げるバルーンを挿入。しかも痛い。この若い先生痛い。隣で見てるベテラン先生やってよ!と何度も心で叫び、結局若い先生が一度失敗し、ベテラン先生で完了。個人病院はベテランしかないのが最大のメリットだと思うが、大病院はこれがつらい。
その日の夜には陣痛室へ移動。窓もテレビもない暗い部屋で、間隔の長くて弱い陣痛を感じながら一晩越して、翌朝促進剤スタート。採血もして、確かアミラーゼは下がってたし、膵炎腹痛も違和感レベルに。陣痛と膵炎腹痛両方だったら最低だったから、よかったです。にしても、妊娠中の膵炎は想定内だったけど、膵炎中に産むことになるのは想定外でした。
朝7時から促進剤が始まって、経産婦だから昼頃陣痛が来て夕方には産まれますよーと聞いていたのでそのつもりでいたら、まったく陣痛来ず。分娩台で小説読んだり、名前考えたり、生協発注したり。夫も暇で途中で散歩に行ってしまった。しかも膵炎中つき食事はおろか水まで禁止され、おなかがすきすぎて産むまでの間ご飯のことしか考えられなかった(あとで病院で書かされた「分娩を振り返って」みたいのに、ご飯のことばかり考えていたって書いたw)。妊娠中の我慢もあり、産んだらアレ食べたいこれ食べたいと。そして水にいたっては、点滴しているにもかかわらず非常にのどが渇いていたので、「誰が水禁止って言ってるんですか?!内科ですか?産科ですか?ふつー水はOKされることは多いんですけど」と半ギレで看護婦さんに言ったような。。膵炎の時の飲水って先生によって確かに分かれるけど、ベテラン先生は比較的OKしてくれるんだけど、若い先生は禁止することが多いので、陣痛始まってからは特に「どいつが言ってんだ?!」とイラついてました。苦笑
結局のところ、私は膵炎から逃れられない運命…と出産から1か月健診あたりまではなんかずーーーっと引きずってました。
膵炎にならなかったら、、、
- もっとおなかに入れておいてあげられたのに
- こんなに小さく生まれなくて済んだのに
- シナジスなんて受けなくて済んだのに
- 母体からの免疫が十分でなく、風邪でも重症化するから気を付けてとか言われなくても済んだのに
- 体重チェックで何度も病院に足を運ばなくて済んだのに
- 最初から完母でイケたかもしれないのに
そして、膵炎の原因→元の病気とその手術が憎い→なんで病気になんて、、の思考にはまり、また病気になったら、、、という寝不足も手伝って、悪循環にはまったりもしました。
でも、、、
現在ひさびさの新生児に寝不足ながらメロメロな毎日です。すでにもう一人ほしいくらい!(笑)なんで赤ちゃんってこんなにふにゃふにゃでかわいいんだろー。しかも早産(35週2日)で低体重児(出産時2376g)なもんで、ちっちゃいの!生後1か月でやっと3100g、1か月健診&シナジス注射(保険適用外だと7万とかするRSウィルス対策の免疫注射)でも、小児科の看護婦さんに「ちっちゃくてかわいい~」とちやほやされてました。いつも膝の上にのせて眺めています(夫の家事が完璧なおかげで暇な人w)。
1か月健診と合わせて内科も受診。出産時1100ccを超える出血で退院時のヘモグロビン8.6でしたが、鉄剤服用で13まで上がった!そして鉄剤、10か月ぶりに終了。ひさびさに全面的に正常値!やっぱり妊娠で血が薄くなるからいろんな数値がLばっかだったんだわね。妊娠中は胸やけで手放せなかったネキシウムもなんと終了になりました。ネキシウムは転院後の内科の先生はもともといらないんじゃないの?って派で、もともとの手術してくれた外科の主治医は(潰瘍ができやすいから?だっけ)、飲み続ける派でした。今は授乳中だし、経済的にも薬は少ないに越したことはないので、今の先生に従ってネキシウムは終了。また胃痛でも出たら出してもらおっと。ただ、産後なぜか猛烈に便秘に…。赤ちゃんのお世話でトイレのタイミングを逃し、さらに授乳中で水分が足りず、飲む量も追いつかずといった感じで便秘がひどくなり、膵臓じゃない、おそらく便秘による腹痛もしょっちゅうで、酸化マグネシウムを多めに出してもらいました。これでなんとか改善しています。
とにもかくにも、病気した高齢でも普通妊娠、通常分娩(帝王切開ではなく)できました!医者の友達にすら、帝王切開?って聞かれるけど、ふつーに産めましたYO!
長い長い、出産の記録でした。本当にみんなに感謝です。